考えるょ〜いろいろとね。

今夜は懐かしい人に誘われ有楽町マリオンの前で待ち合わせをした。丁度19時の時刻にメロディー時計が動きだした。時計の動きに目をやりながら心此処にあらず・・・。懐かしい記憶が蘇ってくる。あれからどれくらいたったのだろう・・・。誰かの歌詞にでてきそうだ。本当にあれからどれくらい月日は過ぎたのだろう。見上げたマリオンはあの当時もここに立っていた。 それでも有楽町周辺の景色はずいぶん様変わりした。マリオンから有楽町駅に続くこの道幅はとても狭かったし近くの親子丼がおいしい定食屋は行きつけでもあった。予測しないような思い出が次から次へと蘇ってくる。そういえば・・一番最初の花の作品展に出品したのは交通会館の中で展示会だったし当時は22才だったとか・・そんなことまで思い出す。誰とどこの喫茶店でお茶をしたとか・・まぁ〜どうでもいいようなことがひとつの鍵をあけると繋がって引き出されてくる。 こういうのが・・記憶の鍵って言うんだろうなぁ〜。

待ち合わせの時間にわずかに遅れてやってきたのかと思った。マリオンの時計に集中しすぎたらしい・・「お待たせ・・しました」と言われるまで傍にいることに全く気がつかなかった。「あっ・・ごめんごめん気がつかなったょ〜」とまるでいつものように話が始まる。いったいどれくらい久しぶりなの? ねぇ今何歳になったの?・・・まぁ〜そんな調子だ。近況報告やらあれこれと聞いて欲しいことを矢継ぎ早に話す。気がつけばこんな時間・・・懐かしい人というのは気心も知れているし多少細切れな話しでも適当に感じ取ってくれるものらしい。なんてありがたいことか。相変わらずに見える? 元気そうね・・という返事には背中を押される気がする。心身共に常にベストな状態とはいえないょ。ちょっと位は無理したり、妙に強気発言をしたり・・。自然体?それも難しいょねっとか・・。なんやかんやいろんなことを抱えて生きている。共に人に話したくないようないろんなことを抱えているから、若い頃は理解できないようなことも些細な言葉の使いかたや仕草で理解できるのさ。それが歳を重ねるってことなんじゃないのかねっ。 別れ際の言葉・・「またね!」そうねっ〜また会いたいね。 元気でいればまたいつか会えるよ! 今日はありがとう。

もし、余命が一週間しかないとしたら・・どう生きる? 余命一週間。猶予はたった一週間と考えるか一週間もあると考えるか。やっぱり捉え方は人それぞれだろうな。私はどうするだろう・・・きっとこれまで憧れていたようなことにも興味がなくなり、ごく普通のなんでもないようなことをして一週間を過ごしてしまうのかもしれない。ならば余命三ヶ月ならどうだろう。1年なら? 3年なら? アホですかね〜こんなことを考えるのは。 こんなことを考えるのはマイナスな考え方だと捉える人もいるかもしれない。当たり前のようにやってくる明日はないってことはやっぱり忘れちゃいけないと思う。 大切な人の訃報・・知らせを受けるたびに考える・・いろいろと。